かたふり

望みの海と桜の港を行き交う船乗り

キャリエールがたえられなかったこと

こんばんは、めやもです。
今回は、ファントムに登場するキャリエールを中心に記事を書いていきます。物語のネタバレを多く含みますので、観劇を控えていらっしゃる方はご注意ください。

 

 
はじめに

今回の考察の目的は、キャリエールの「私が最も辛かったことは、彼女(ベラドーヴァ)が自分の子を全く醜いと思っていなかったことだ」という言葉の意味を明らかにすることです。


最愛の人が産んだ子どもが醜かったことが辛かった、なら分かる。でもそうではなくて、彼女が子どもを「醜いと認識しなかったこと」が辛いのだと。ここにとても引っかかる。
この台詞についてクリスティーヌの行動を通して考えると、自分なりに辿り着くところがあったので、記事にまとめてみました。

 

キャリエールの台詞とクリスティーヌの行動

初めはこの台詞を「自分が醜いと感じている存在を、愛する女性が同じように感じていなくてショック」という意味なんだろうなと思った。既婚者のくせに愛したのはベラドーヴァだけ、なんて都合のいい思考をする男だから、そんなものだろうと。

同じくらい、誠の愛を囁いて、仮面を外せと訴えるクリスティーヌが、エリックの素顔を見て逃げ出すという行動も飲み込めなかった。え〜〜エリックかわいそう…… ああ泣いちゃった……と思いながら観ていました。


二人の言行を理解する上で大きなヒントになったのは、大劇場パンフレットにあったきほちゃんのコメントです。

エリックが仮面を外す場面は望海さんともお話ししていますが、クリスティーヌは決して顔の傷ではなく、エリックが背負い続けてきた全てのものを母親のようには受け止めきれないことに怯えたのではないかなと…。

 もしクリスティーヌがエリックの顔の傷に怯えたのなら、エリックが仮面を外してすぐに逃げ出したはずで、でも思い返すとクリスティーヌはそのときむしろ穏やかな顔のままだった。クリスティーヌはオペラ座に戻りこそしたけど、すぐ思い直して「あの人に謝らなければ」とまで発言する。顔の傷に怯えていたら、二度と会いには行かないしまして謝罪なんてしないだろう。ということは、望海さんやきほちゃんが考えるように、「エリックが背負い続けてきた全てのものを受け止めること」に対する覚悟がクリスティーヌの行動を左右したというのなら、キャリエールの台詞にも納得のできる解釈ができるのではないか。

すなわち、ベラドーヴァにはエリックがこれから先背負い続けるであろう全てのものを受け止める覚悟があり、キャリエールにはそれがなかった、ということになる。

もっと言えば、精神を病み、薬物にさえも手を出したベラドーヴァに対して、既婚者であるキャリエールがそれでもなお美しさを感じて彼女を愛し続けたのは、醜いエリックに対してとめどない愛を注ぐ彼女の美しさのためではないかとも考えられる。この解釈に立ってキャリエールの台詞を考えると、キャリエールが最も辛いと感じたのは、「エリックを醜い子として見放そうとする素振りを見せないベラドーヴァ」に対してではなく、母親としてのベラドーヴァの姿を通して、「エリックを醜い子として見なし、これから彼に降りかかる苦悩や困難を父親として受け止める覚悟もできない自分自身を実感させられたこと」だったのかもしれないと思い始めた。


キャリエールがエリックの「父親」になるとき

上記のように解釈すると、キャリエールがエリックの「父親」になるためには、「エリックに降りかかる苦悩や困難を受け止めること」が絶対条件になる。自身がベラドーヴァの恋人であったことを明かしたキャリエールが、その後エリックの「父親」になるために取った行動は、エリックの射殺。キャリエールがエリックを息子と認めてから、エリックにその後降りかかる苦悩や困難は、この場合、警察に捕らえられ、見世物とされ、一生を過ごすこと。エリックを愛しい息子と認めたキャリエールにとり、エリックを愛する「父親」になることは、見世物にされることを食い止めることで、それはエリックの射殺のほかに無かった。それをけしかけたのはエリックの「父さん!」という呼びかけ。はっとする団員たちの前でエリックを殺すことで、キャリエールは初めてエリックの「父親」になることができた。エリックが生きている間になり得なかった父親に、エリックを殺して初めてなれるというのは、月並みだけどキャリエールに対するベラドーヴァの呪いであってほしい。


ファントムを観劇して

愛ってなんだろう。


ファントムはきっとキャリエールという人間の一生を描いている。若かりし頃のキャリエールがベラドーヴァに出会い、エリックが生まれ、自らの手で死ぬ。物語に描かれている時間がまさしくキャリエールのキャリエールたる人生だったんだと思う。「ファントム」というストーリーは、キャリエールの弔いなのかもしれない。キャリエールが配偶者に抱けなかった愛、ベラドーヴァに抱いた愛、ベラドーヴァとエリックの間にある愛、クリスティーヌがエリックに寄せた愛、エリックが憧れた地上のすべてに内在する愛。一つ一つ違う愛が、観る人に襲いかかってくる。愛の物語とは、よく表現したなあ、と思いました。


まとまりませんが、最後までお読みいただきありがとうございました。

東京宝塚劇場の真ん中に座った話

こんにちは、めやもです。

書き出しが「あけましておめでとうございます」の下書きを未だにアップできていませんが、今年も元気に頑張ります。

 

今回、念願のファントムを観劇できることになり、公演前からもう思い残すことない…… むり…… となっていたんですが、あまりにも良いお座席に縁がありましたので、思い出の記録と、これから座られる方の情報になればと、東京宝塚劇場の座席についてレポートしたいと思います。観劇中の感想やレポは次回の記事にまとめます。

 

タイトルコール行きます。

 

 

研2ヅカオタ、はじめてのドセン

~贔屓の視線☆ビシバシ~

 

 

最近HOT EYES!!を観たのがバレバレです。

出オチ感満載ですが今回は清く正しくテンション高く書いていきます。

 

 

開演前

今回座った座席 → 2階S席39番

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座席からの見え方がこちらの通りです。とんでもないですね。

 

席番を見てまず、どうしていいかわからない病になる。座席表を8万回くらい確認する。なんとか残った理性で「真ん中だから早めに座っておかないと周りのご迷惑になってしまう」と思い、開演30分前から着席。どセンターである。株主じゃないのにこんな場所座っていいの? 大丈夫? 合ってる? 刺されない?

 

緊張をほぐしてみようともしました。

ひたすらパンフレットを読む→頭に入らない
顔を上げる→オケピに大好きな西野淳先生の背中が見えてドキドキする(ファンです)
結論→何をしても無駄

 

何をどうしても「宝塚劇場の真ん中」に座っていることをますます実感してこの時点で倒れそうでした。そして緊張のほぐれぬまま流れる美しい開演前アナウンス。

 

「みなさま、あけましておめでとうございます。雪組の望海風斗です。」

 

エリック、お前は…………!!!(エリック強火担キャリエールの人格)

 

あけましてアナウンスが聴きたくて仕方なかった上に、三が日だけのものだと思っていた私はここで心のガッツポーズをしながらすでに「平成っていい時代だったな」と過去を振り返っていました。いい人生でした。

 

 

公演中

一言で言うと、ほとんどオペラを使いませんでした

使いたくなかった。

 

どセンターといえど2階席なので、裸眼で表情まで見えるかと言われると難しいところです。でも、イメージとしては、DVDで全景を見ながら、好きなときに見たい場所をオペラで拡大できるという感じだったんです。

 

ライブビューイングはどうしてもその場面の主役が抜かれます。劇場での観劇も、ご贔屓の方がいればその方を中心にオペラをのぞくことが多くなると思いますし、そのとき、歌や台詞のある方のお芝居は音声情報として認識できますが、カメラやオペラの範囲にいないジェンヌさんの音声を伴わないお芝居は、当然見られなくなります。

 

それを特に実感したのがパリのメロディのシーンでした。

 

待って~~ パリの街の人々こんなに楽しそうにクリスティーヌと歌ってたの?

めっちゃパリ…… (行ったことないけど……)

 

舞台上は間違いなくオペラ座通りでした。たしかに人々がそれぞれに生活をするパリの街だったんです。上手から下手までのすべての場所がパリの街で、すべての人が生きていた。

 

初めて雪組の公演」を観たと思いました。雪組公演を観劇していながら、今までのわたしは本当に雪組を観ていたのだろうかと申し訳なく感じました。今までのヅカライフをもう1度やり直したく感じるくらい、「組の公演」であることを実感しました。

 

物語の考察やみなさんのお芝居の感想はまた次回の記事にまとめたいと思います。

 

 

フィナーレ 

端的に申し上げると今回の死因ですね。

ここでもう一度今回の記事のタイトルを大きな声でお伝えしたいと思います。

 

研2ヅカオタ、はじめてのドセン

~贔屓の視線☆ビシバシ~

 

大事なのは副題です。

 

~贔屓の視線☆ビシバシ~

 

想像してみてください。大丈夫ですか? 生きて帰れますか? 無理です。残念ながら無理です。なんなら組子の視線☆ビシバシです。無理です。大好き……。ずっと応援しゅる……(幼児退行)

 

わたしの瞳がなぜキラキラしているかって

それはジェンヌの笑顔を見つめているからだよ

 

わたしの瞳がなぜウルウルしてるかって

それは贔屓に焦がれ愛してしまったからだよ

 

わたしの瞳がなぜチカチカしてるかって

それは組子があまりに可愛すぎるからだよ

 

わたしの瞳がなぜメラメラしてるかって

それは贔屓とアイコンタクト

わたしがホットアイだからだよ!!

 

ホッタァーーーーーーイ!!!!!!

(いや観劇したのファントムやで)

 

 

取り乱しました。すみません。

でも本当に本当にこんなに目が合うものなのかとびっくりしたんです……。いやほとんどわたしの勘違いだとは思うんですが、何しろジェンヌのみなさまはオペラの中の瞳もとらえているとのことなので……。

 

男役群舞から若手群舞に移るとき、望海さんが下手にはけていく直前に客席に向けて大きくウインクなさるんですが、あれが直撃したのが致命傷だったと思います。本当にいい人生でした。幸せです。悔いなし。たぶん2階席の全員が幸せに人生を終えたと思います。それくらい望海さんのウインクは射程範囲が広いです。たぶん端から端まで3kmくらいあります。

 

幸せ~ 幸せ~ と思いながらも泣きはしていなかったんですが、そのあとわたしが世界でいちばん好きな宝塚のシーンが待っていました。

トップコンビのデュエットダンスです。

 

かねてからだいきほコンビのデュエットダンスが本当に大好きだったんですが、望海さんが真紅のお衣装で大階段に登場するまでなぜかデュエダンがあることを忘れていて(それくらい緊張していました)、望海さんにスポットライトが当たった瞬間に「あー!!! 待って待って!!!!」となりました。当然待ってくれません。

 

初めて舞台を真正面から観られる場所でお二人のデュエットダンスを観て、もうどんどん涙があふれてきました。エリックとクリスティーヌ、望海さんと希帆ちゃん、男役と娘役、いろんな関係性を抱きながら展開される真紅のデュエットダンス。本当に美しくて、幸せでした。お二人がどれくらいの範囲でダンスしていらっしゃるのかもオペラやライブビューイングでは分からなかったことなので、気づきも多かったですし、何よりもお二人の頭からつま先まで、睫毛も指先もジャンプのタイミングも揃っている様子を観られて、改めてお二人が大好きなことを実感しました。

 

そしてリフトで号泣しました。

 

いろんな思いが交錯しました。お二人にご無理はなさって欲しくないし、大劇場公演での振りの変更のこともあります。いろんなことを考えました。その上で、あの日あのとき、あの公演で、静かな微笑みを浮かべてくるくると舞うお二人に、わたしはとても幸せで優しい夢を見ました。

 

そのままオペラは構えられなくなって、お隣の方と一緒にスンスン泣きながら、フィナーレになりました。大階段を降りる組子のみなさんが笑顔で、ヒメさんがカルロッタの顔してご挨拶するのにはけぎわにニコってするところとか、もう本当に雪組が大好きだなと思いながらみなさんのお姿を観ていました。

 

銀橋に望海さんや希帆ちゃんたちが並ばれてご挨拶なさるとき、もう涙で頬がべしょべしょなわたし(と、たぶんお隣の方)を観て望海さんが微笑まれたのは、一生の思い出です。絶対わたしのお葬式で故人のエピソードに入れて欲しい。おばあちゃんになってボケちゃったとき「またその話?」って孫に呆れられたい。何度でも話したい。

 

静かに幕が下りていきました。

 

東京宝塚劇場の真ん中

間違いなく世界で一番幸せな場所でした。

わたしはどんなに端の席でも、後方の席でも、あの空間で宝塚を観劇できるということが本当に幸せなので、今まではどの席になっても、むしろその席の楽しみ方を見つけながら観劇してきました。

 

上手でも下手でも、どのブロックでも、やっぱりそれぞれに良いところがあります。

 

今回、初めて真ん中に座って思ったことは、舞台は真ん中から観ることを作って考えられているということでした。

 

演出家の先生方は、もちろんどの座席から観てもでもすばらしい舞台を考えていらっしゃると思いますし、ジェンヌのみなさんもそうお考えだと思います。それは、どの席から観てもそれぞれの座席の楽しみ方を見つけることができたというわたしの経験からも確かです。

 

だけど、真ん中は、やっぱり真ん中なんです。全部が見えます。ジェンヌさんが「0番」と仰る理由が、憧れる理由が、そこにあったように感じました。とっても特別な場所です。劇場はすべてが特別な場所なんですけど、特別の特別でした。ご褒美という言葉がぴったりな気がします。

 

だからこそ、いつも座ってはいけないとも思いました。

 

宝塚を観劇することは、それだけでわたしにとってご褒美です。悩んでいるとき、どうしていいか分からないとき、やる気が出せないとき、ご贔屓さまに恥じない自分でいられるかといつも考えます。もうむり…となっても、観劇すると元気100倍です。バタコさんもびっくりです。これはどの座席でも同じです。

 

今回、わたしが真ん中で観劇できたのは、ただの偶然です。でも、神様からのご褒美のように感じるくらいの苦労は確かに昨年ありました。だから、「こんなところ座っていいのかな……」とは思いましたが、それ以上に、「ありがたいな、また頑張ろう」と思える経験にもなりました。

 

あくまでも全部個人の感想です。

 

ご贔屓さまがトップでない方にとっては、その方がお芝居やフィナーレに立つ場所こそが、0番で真ん中だと思います。だから、ご褒美だと思う場所も、特別の特別と思う場所も、きっと人それぞれです。その通りです。だから、それぞれの大切な座席を、どうかこれからも大切にしていただきたいなと思います。

 

まとめ

  • 東京宝塚劇場の真ん中は舞台が全部見えるあたりまえ体操
  • 指揮の先生の背中がずっと見えてワクワクする
  • いろんなジェンヌさんとすごく目が合う
  • でも、SS席も1階席も2階席も当日B席も宝塚はぜんぶが特別席

 

どんな座席でも、宝塚の公演は幕が開いたら下りるまで、夢の世界です。その日そのときをその場所で観られることは1回1回が特別な経験です。ぜひこれからも、どの座席でも、夢の世界をめいっぱい楽しみたいと思います。

 

またいつか真ん中に座れるように、今年も頑張るぞー!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

だいきほ記念日

ひかりふる路の初日からちょうど1年。

 

今日は、だいきほの大劇場お披露目から1周年の記念日。昨日ファントムの初日があけたばかりだけど、連日「おめでとう!」と言えるできごとがあふれているのは、ファンとして本当に幸せなことだなあとしみじみ思う。

 

初めての記事ではプレお披露目のことを書いた。お披露目公演のことは、わたしが初めてムラに遠征した11月23日に合わせて書こうと思う。

 

今日はただただ、だいきほという大好きなトップコンビが、どちらも欠けることなく健やかに1年を全うできたことをお祝いしたかった。お祝い? そう、お祝い。今日は大劇場での「だいきほ」のお誕生日だもの。

 

指先とまなざしで全てを語れるだいもん。

笑うと細くなる目元がとびきり愛らしいきほちゃん。

役の生きた声を世に現すふたりの歌声。

その息の合い方。

互いを求めるデュエットダンスのてのひら。

ふたりがふたりで表現するすべてが好き。

大好き。

 

いちばん最後にいちばん大きな羽を背負っていちばんの笑顔で階段をおりるふたりが、これからもずっときらきらとしていられるように、ちっぽけなファンですが、2年目もめいっぱい応援していきます。

だいきほちゃん、1周年おめでとうございます。1年間お疲れさまでした。

2年目も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

ファントム、たのしみだなあ。

あの日から

だいきほのプレお披露目公演、2017年雪組全国ツアー公演「琥珀色の雨にぬれて」の初日から、今日でちょうど1年になる。だいきほ、と呼ばれるコンビが大きな羽を背負って小さな階段を降りた日から、今日で、1年経った。

 

あともう少しでその日が終わってしまうことに気付いて、自分の気持ちをどこかでまとめておきたくて、ついにはてなブログに手を出してしまった。文才とセンスに満ちた人のためのドメインだろうに、それがないことを充分わかっていながら果敢に挑戦するくらいには、わたしはだいきほが好きだ。日付が変わるまでに書き終わるかはわからないけど、初めての記事を作ってみる。

 

2017年1月、星逢一夜のライブビューイング。WOWOWか何かで放送されていたルパン三世でうさんくさい魔術師みたいな役をしていた歌の上手な人が気になると友人に言ったら「映画館で観られるよ」と誘われて、地元の映画館に車で行った。大学より遠くまで走ったことなんかなくてどきどきしていたのに、幕間にはそれよりもどきどきしていて、うさんくさい魔術師みたいな役をしていた人が雪組の2番手男役で望海風斗という名前だとわかった。

きらきらのショー、素敵なトップコンビ、圧倒される組子たちの熱意。でもそれを凌ぐように望海風斗という人に魅了された。組子たちの名前もよくわからないまま、雪組の公演にならこの人が出るのだと覚えて帰った。

 

いつのまにかその人がだいもんと呼ばれていることを覚えて、応援する人をご贔屓と呼ぶのだと教わり、ご贔屓は望海風斗さまです、なんてツイッターに書いたりしてみた。次の公演はトップコンビの退団公演で、彼らがちぎみゆと言うおしどり夫婦なコンビだということをよく覚えて、となりの県までライブビューイングを観に行った。劇場のチケットの取り方はまだよく知らなかった。次の公演でこの人がトップになるんだなあと思う気持ちと、トップコンビの退団公演という重さを目の当たりにした衝撃で、帰りの電車に乗り遅れたりもした。

 

まだだいもんのことしかよくわからないまま、プレお披露目公演が始まる季節になった。娘役のトップも発表されて、この人がだいもんの相手役なんだなとなんとなく覚えて、少しずつ覚えたチケットの取り方を駆使してなんとか地元の公演を観劇できることになった。わたしの大好きなその人は生きることの不器用な男性をまっすぐに生きて、この間までいたトップの人の衣装を着てショーに出て、大きな羽を背負って、小さな階段を降りて、真ん中で手を振って幕の中に消えて行った。トップになったんだと、浅いファン歴の割にぼろ泣きして、帰りは道に迷った。

 

失礼なことにこのときはまだきほちゃんのことをよく認識していなかった。お歌が上手だなあ、すごいなあ、くらいだった。それが、大劇場お披露目公演と全ツを通してどんどん惹かれていって、いまではすっかり「だいきほ」のファンになっている。真彩希帆という娘役は、ノーマークだったわたしがわたしの家族をも巻き込んで応援するくらいに、とっても魅力的で可憐な娘役で、大好きなご贔屓さまの、大好きな相手役だ。だいもんの相手役がきほちゃんでよかった。雪組のトップ娘役がきほちゃんで本当によかった。

 

そんなふうに、だいきほコンビ発足からの1年は、きほちゃんに出会って、きほちゃんを好きになって、だいもんだけしか好きだと言えなかったわたしから、だいきほが好きなわたしになっていた1年になった。その中で、少しずつ組子さんの名前もわかるようになって、いろんな人の歌に惹かれて、踊りに見とれて、お芝居に泣いて、今では雪組のファンですと小さい声でなら言えるくらいになった。

 

きっとまた別の記事で雪組への気持ちとか大劇場お披露目の話とかは書くと思うけど、今日はとにかく、だいきほが羽を背負った日からの1年をなんとかしてお祝いしたかった。

絵も描けなければお手紙も書けなかったし、なんならこの記事も日付を越えてしまったけど、いまわたしはだいきほが大好きなんだということが、細々とインターネットの世界のどこかに浮かぶことになったらいいなと思っています。

 

だいもん、きほちゃん、トップコンビプレお披露目公演から1周年、本当におめでとうございます。これからも二人の道に光が満ちていますように、その姿を少しでも多くこの目に焼き付けていくことができますように。

 

大好きです。